2010年11月09日

龍馬伝を見て

龍馬伝を久しぶりに見た。いよいよ大政奉還に向かって進んでいるという場面なのだがどうも史実とは違う部分が多くて戸惑いを覚えてしまう。龍馬は最後まで脱藩浪士として土佐に戻るには戻ったが、船の中に隠れていて家にも戻れなかったのではなかったのではなかったかと思う。しかも予告を見た限りではお殿様とのお目通りもしているという場面があるが実際は一度もお殿様と龍馬はあっていなかったのにと、そんな事が気になってしまう。つまり如何に仕事をしたとはいえ龍馬は下士のままだったのであり、あくまでも後藤象二郎がその手がらを横取りしたのではなかったか。そのあたりの事を正確に伝えないとどうもまじいんじゃあねえのかあって思ってしまう。
確かにドラマとしてはよく出来てはいるけれども日本人に日本の歴史を教えるミッションが大河ドラマにあるとするならば、そのあたりの時代考証には力を入れなければいけないのではないか。「面白くなければテレビじゃない」と言ったのはフジテレビだが、NHKまでまさかそう思っているとは考えたくないものだ。龍馬を暗殺した可能性のある人間をすべて疑わしくしようと言う演出もあるのだろうか大久保が龍馬を忌み嫌う嫌い方もちょっと尋常ではない。もとより西郷隆盛と龍馬の関係も最近はあまりでてこなくてつまらないと言えばつまらないのである。江戸時代の日本人ほどニコニコ笑って幸せそうに暮らしていた民族はいなかったというのは色々な西洋人が日本について書いている文献で分かっている。だからキリシタンの芸者が「皆がニコニコ笑って暮らしていける国」というのも実はあんまり正確ではないのではないかと思っている。





日本人は実に楽しく江戸時代を過ごしていたのだ。それが黒船によって外国の侵略を受けそうになると悟った若者達が国を守るために起こした革命がこの明治維新である。少しテーマがぼやけてきたというのはちょっとうがった見方なのだろうか。一言で言うと女性の目線を気にしすぎているのである。それは視聴率を意識しているのか、製作者がフェミニストなのかは分からないが、男の目線が少なすぎると感じている。当時の革命家の若者達が考えていたのは女性の事ではなくて、国の事だ。龍馬はその中でもかなり女性に気を使った男だったかもしれないが、やはり国の事だけを考えていたのではないのだろうか。そして国が出来上がったら七つの海を駆け巡って商売をしたいと言う事だけを考えていたのではないのだろうか。ドラマや映画で製作者の意思が入って来るのはあたりまえで、その人なりの人生観なりの歴史観が出てくるのはあたりまえだと思っているのだが、歴史を扱うならばできる限りの真実を調べつくした後にその独自の視点を乗せるべきであり、史実と違う事を描くのはそれは歴史に対する冒涜である。




つまりは坂本龍馬をはじめ、数多くの維新の志士達に対する冒涜になるのではないかと思う。実は僕はご存じのようにお龍役の真木よう子さんの大ファンであるが、彼女の京都弁がまったくひどい。これは今までのNHKならば方言指導がキッチリついて完ぺきな京都弁を話させていると思うのだ。そんなことからおそらく歴史認識などもきっといい加減にやっているのではないかと想像してしまうのだ。これは真木よう子さんの責任では全くない。彼女のパッチギでのあの朝鮮高校の女子高校生役の京都弁は完ぺきだったし、あの『おいでやす』といって凄むシーンは僕の大好きなシーンだからだ。龍馬伝のあの土佐弁が正しいのかどうかは僕には判断しようがないが、どうもかなり怪しいのではないかと思っている。映像が素晴らしいこの龍馬伝だけに本当に残念だ。そんな細部への(細部とは云えないかもしれないが)こだわりと製作者の神経の配り方が、物語をただの物語を超えて日本人の心に迫る迫力のあるものにしてくれるのではないかと思う。このドラマを見た多くの人の龍馬に対するスタンダードが今度はこのドラマになってしまう事を思うと製作者であるNHKの影響力はやはり大きいわけだから、そのあたりはもっと真実にこだわってほしいところだと思う。

というわけで龍馬伝のテーマソングでするんるん


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posted by すしボーイ at 10:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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