2012年11月17日

平清盛を観て感じたこと

平清盛にはまっている事は前に書いたとおりなのだが、貧乏暇なしオジサンにとって日曜の夜にテレビの前にいられないこともある。そんなときは土曜日の再放送を楽しみに見ている。この大河ドラマが始まった頃の清盛が少年の頃の飢餓感と向上心や素直な心が懐かしい。それが今日の放送でついに日本の頂に上り詰める清盛がいた。人の欲望には限りがないと見えて、どこかの政治家や経営者にこんなオッサンたしかにおるなあ、ってな感じで見ていた。それに比べて源氏の頼朝や義経のさわやかな事。やはり人は貧しくとも志があり目標があったほうがさわやかな感じがしていいものだ。

昨日は久しぶりに上野探検隊のメンバーと呑んだ。場所は五反田の「とんちゃん」。新大久保に行くのもいいかなと思ったのだけれど、サムギョプサルならやっぱり[とんちゃん]だと思い、五反田にした。カリカリに焼けた豚肉に、ここんちのマッコリが実によく合う。最後のチャーハンにたどり着いたときには、金色の安物の鉄のドビン(昔、小学校とかで麦茶が入っていたようなやつ)でいただくちょっと濃いマッコリは本当に美味しく、相当呑んでしまい。久しぶりに目が回り、帰りの東急線を乗り越したり違うところで降りてしまったりで家にたどり着いた時にはかなりの時間になっていた。



何の気も使わない仲間と呑む酒はやっぱり格別である。そんなことをしみじみ考えた夜になった。世の中はいいことばかりじゃないけれど、それでもみんな元気にやっているなあと、そんな様子を見るだけでもなかなか楽しいものだ。ようやく衆議院も解散で少しずつではあるけれど世の中が動き出している。自分の周りも少しずつ動いているのかなあ、動かさなきゃいけないなあ、少しずつでいいから。そんなことを考えた。




少しずつしか変わらないんだけれども、後でふりかえるとずいぶん変わったなあってのが人生なのだろう。10年ぐらいじゃまったくわからないのだけれど、30年って単位でみるとやっぱりそれはものすごく変わっているわけで、そんな尺度でものを見ることが出来るのもオッチャンになったからなわけで、まあ歳をとるというのもまあまあいい事もあるわいなあと感じたりして、どうも最近爺くさいことばかり考えている。



平清盛が青年の頃のような夢を、国づくりを、そのままの精神で今の年齢と経験で実行したなら、平氏の時代はまだまだ続いていったのだろうか。人間の欲望はどうして限りがないのだろうか。欲望を自分のわがままを自分でコントロールできなくなることが老いなのだろうか。いつまでもいつまでも青年のような精神状態でモノを偏見や経験で見ず、ありのままに感じられるようなシナヤカな心をいつまでも持ち続けたいものだと思っている。


確かなことは、天下を取っても頂にはずっといられないという事だ。いつかはその場所を去らなければいけないし、いつかは後から来る人に追い抜かれる。それが運命だから、それは決まっていることだから。そう考えると頂を目指すことに意味はないと感じるかもしれないが、頂を目指してそこにたどり着く事自体は尊いのだ。だけどそこに居続けることは無駄な努力だし、まったく人間として意味のないことなのだと感じてしまう。日本人が坂本竜馬が大好きなのは、彼の生き方のそこに共感を、覚えるからではないだろうか。これから義経が出てきて日本人の[判官びいき]がわかるように、大方の日本人はそう思っているのではないのだろうか。



人はみな自分なりの頂を目指して生きている。それがあるからこそ、いつかたどり着くのだという思いがあるからこそ、人間は先を見て頑張れるのだ。次の山はどれだろうか、まったく違った山かもしれないけれど、それが自分にとって登るに値する山ならば、そのことだけで人は生きていけるのだろうと感じている。そして倒れて一歩も動けなくなるまで歩き続けて、最後は前のめりにぶっ倒れる、そんな生き方をしてみたいものだ。

というわけで、今日の歌はこれ、「胸が痛い」
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posted by すしボーイ at 15:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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