2016年05月06日

「サラバ」西加奈子を読んで

西 加奈子
「サラバ」

危うくこの上下2巻の大作を読み逃すところであった。
何の予備知識もなかったのだが、図書館の新刊購入リストから選んで予約を入れておいた。なにやら直木賞を取ったとかで大人気のこの小説は、すでに数百人の予約者がいて何時になったら読めるのかわからなかったのだが、ともかく今読みたい本がなかったので予約を入れておいた。それが約一年前だと思う。ゴールデンウイーク前に図書館からメールが来てその本が届いたという。一年前のその本はすでに数百人の人の間をくぐって来ただけあって、表紙などかなりの貫録になっていた。

どうでもいい話だが、この上下に分かれている小説で上下2巻一緒に借りるのはこれまた至難の業なのだ。ともかく、楽しみにしてその本を読み始めた。イランのテヘランという町で始まるこの物語は、僕という一人称で語られるのだが、その姉のオドロオドロしさにちょっと嫌気がさして、20ページほど読んだところで投げ出してしまった。イランというなじみがない街が舞台だという事と西加奈子さんという女性が男として語っている事にちょっと不自然さを感じたのだ。すぐに図書館に返すつもりだった。

主人公よりも、彼の父親や母親の年代に気持ちが行くからか、どうも話の中にすっぽりと入って行けなかった。でも、このゴールデンウイークに僕には読むものが何もなかった。いや読みたいものがその時何もなかったのだった。仕方なく、また無理やり読み始めた。基本的に僕はケチなので、「もったいない」と思ったのだ。無理やり読み始めた物語は、この主人公の語り口でドンドンと進んでいき、この家族の崩壊が語られていった。はじめはこんな話あるわけないわなと思いながら読んでいたのだが、だんだんとこの主人公の僕に感情移入できるようになってきていた。


下巻に移るころには、この不思議な話が、ひょっとしたらどこにでもある今の日本のどこにでもある話かもしれないと思い始めていた。つまり、荒唐無稽だと思っていた話が僕の中で現実味を得てきたのだ。実体験なのか作り事なのかそれはわからないが、少なくとも主人公が経験して苦労した心を揺らす描写は単なる絵空事では書けないと思った。おそらく、この西さんが自分でか、あるいはごく親しい人がこのような体験をしたのではないかと思わせる臨場感があった。あらゆる人生には、あらゆる家族には、そしてあらゆる結果にはやはりそれなりの理由があるのであり、人はその理由を求めてこの物語の主人公達のようにあがくのだろう。

この物語はまったくエンタテインメント性はない。つまり、読者を喜ばせようという作者の作意は全く見当たらない。思い余って、書き散らした、書かねばならぬ事があって書いてしまった。なんだかわからないがそんな潔さを感じた。僕は時々本を読んでいる時間や映画を見ている時間を、もっと自分の人生に直接に役に立つことに使った方がいいのではないかと、考えることがある。この物語の主人公もある時期図書館に通い詰めるのだが、そんな僕の悩みを解決してくれるような部分があるので紹介したい。

ホテル・ニューハンプシャーを読んだ主人公がこういうのである。


「読み始めると、僕はたちまち僕という輪郭を失い、ペリー家の家族に寄り添う事が出来た。ともに笑い、共に怒り、共に涙を流し、ときに死に、そしてまた生き続けた。小説の素晴らしさは、ここにあった。何かにとらわれていた自身の輪郭を一度徹底的に懐胎すること、ぶち壊す事。僕はその時ただ読む人になり、僕は僕でなくなった。そして読み終わる頃には、僕は僕をいちから作った。僕が何を美しいと思い、何に涙を流し、何を忌み、何を尊いと思うのかを、いちから考え直すことが出来た。」


この物語の中に出てくる言葉「自分で自分の信じるものを見つけなさい」はこの歳になった僕にとっても重い言葉である。楽しむためではなく、自分を見つけるために読む物語。そんな気がした。何でも、辛抱強く読まなあきません。最初の印象で決めたらあかんね。特にあっしの第一印象はすこぶるあてならん、という事が今回もよく分かった。

物語にも出てくるこの歌です!

posted by すしボーイ at 00:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大好きな本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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