2016年10月08日

テレビのニュースを見て感じたこと

僕たちが会社に入ったころは会社にそして社会にまだアソビがあった。アソビというのは遊びではなく、ハンドルのアソビのほうのアソビだ。つまり、余裕があったので多少の馬鹿をしていても、多少の無理をしたって、会社が、同僚が、そして社会がそれを優しく受け止めてくれる地盤があったように思う。たとえば新入社員で訳も分からず残業していたら外から酔っぱらった上司や先輩が会社に電話をしてきて、今すぐ俺が飲んでいる飲み屋に来いという命令が入ったものだ。

それは、自分たちは外で食事をしているのに、残業している新人たちへの先輩たちの思いやりだった。でも、そのおかげで酔っぱらった僕らはその日は仕事にならずに、翌日早朝に出社したり、また残業したりしなければいけなかったのだが。それでも上司が自分たちがこのような状況にある事を理解していてくれている事は伝わって来たし、乱暴ではあったが、気にかけてもらっているという愛情をそこに感じていたものだ。

コンプライアンスやパワハラやセクハラが声高々に叫ばれるようになって、先輩たちが気軽に部下や後輩を酒の場に誘えなくなって何年たつだろうか。上司が部下に遠慮するから部下も上司に相談できない。わざわざ月に一回みんなで飲もうよというキャンペーンが会社で始まった時、僕はこの会社はもう駄目だと思った。コミュニケーションを生業にしている会社が会社の公の行事で社内で飲もうよと声をかけなくてはいけない状況。これでは社外のクライアントをはじめとした人たちとコミュニケーションが取れるわけがない。

飯を食ったり酒を飲んだりすることがコミュニケーションではないという人もいるだろう。でも僕はそうは思わない。一緒に飯を食ったり、酒を飲まないとわからないことは多い。それこそ会社の中だけで、会議室だけの付き合いでその人の事がわかるわけがないではないか。

グローバルスタンダードというアメリカの押しつけのようなスタンダードが良いとしてきた日本社会。このほかにも日本本来の良いものを棄て続けてきた気がする。べたべたな、情のある、愛のある、日本人のための日本の会社にならないと、このような不幸はまだまだおこる可能性があるのではないだろうか。

細かな状況は一切知らないでこのような問題に言及する危険は十分承知の上だが、おせっかいなぐらい人にかかわらない限り、おせっかいなぐらい人に興味がない限り、このような不幸はまた起こってもおかしくない。酔っぱらっていても、風邪をひいていても、とにかく朝は時間通りに会社に出ろと新人の時に言われた。それから、病院に行こうが、サウナに行こうがそれは知らんと。ともかく朝一番で皆の顔を見るとその人間の健康状態や、仕事がうまくいっているかどうか、すべての事がほとんどわかると、その上司は言っていた。

当時は出社してからまずお茶を飲みにいった。最初僕は何故こんな全員でサボるのだろうかと不思議に思っていたのだが、その20分か30分の喫茶店でのバカ話で、昨日のそして昨晩、部下が誰に会って、誰と食事をし、誰とこういう仕事の話をしていたのかを、その上司はすべてその喫茶店での話で把握していた。今のような、メールでの共有ではなくて、フェイスツーフェイスで生の声を聴いてそれぞれのニュアンスを正確に伝え、そして理解してくれていた。つまり良い事はもちろんだが、悪い事、ミスにつながりそうなことも、朝一番で全員がそれを把握して全員でそれを解決していった。

つまり、それがあの会社の最大の強みだったのだ。

情報の取り方、情報の流し方、情報の処理の仕方、つまりはやはりコミュニケーションの達人たちの集まりだった。そんな人たちであれば新入社員の異変に気づかないことはなかったのではないだろうか。これはもちろん一つの会社だけの問題ではなく、社会全体の問題ではあるのだろうが、コミュニケーションのプロであるあの会社でまた起こってしまったことが大変残念である。

役員の報酬ばかりあげてないで、社員もっと採用したらええんとちゃうのと思います。こんなデジタル時代になぜ仕事が増えてしまうのでしょうか。あのアナログ時代、伝票も全部手で書いていた時代よりももし忙しいなら、人増やさんと・・。

亡くなった、新入社員の方のご冥福をお祈りします。


posted by すしボーイ at 12:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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